数学を教えること
21時寝4時起き。7時間睡眠。
瞑想と運動終了。
昨日は嫁が子供を連れて実家に遊びに出掛けてくれた。実家も同県内にある。コロナ禍でも幸いである。さて、その間私はというと、一日中やる気が出ず、ルーチンをこなしてから寝転がっていた。これではダメだとまずは洗濯と食器洗いをした。やはりこれだけの身近コントロールだけでも少しモチベーションがあがるものだ
その後、少しゴロゴロしてから講師の勉強を開始した。
10数年前に学校で習った数学で、大学で専攻にもしていたが、教えるとなると全く別問題だ。
例えば、「図形と方程式」を考えてみる。今まで習っていた直線や円を座標平面の上で考えてみよう、というものだが、初学者からしたら何が面白いのだろうか?と思ってしまう。
ギリシア時代から考察された図形を17世紀にデカルトが導入した座標平面により、図形を方程式として計算することができるようになった。これは素晴らしいことだ。数学の世界が一気に広がった。ということを言っても生徒に素晴らしさが伝わるのだろうか?
そして現代数学では、代数幾何学、リーマン幾何学、多様体など、応用は凄まじい。
とは言っても生徒はポカーンだろう。
でもこの熱い想いは伝わるはずだ。単なる計算問題だけに終わってほしくない。それでは公教育の意味がない。
公教育は生きる力を育み人格を形成する場所である。教科書で計算や問題の解き方を教えるだけではない。リベラルアーツという言葉がある。何でも調べられるこの時代にただの知識は役に立たない。それを自分の中でどう咀嚼し活用するかが大事だ。そのために必要なのがリベラルアーツである。そう思って学校の先生を志したい。
今日も一日雨だが、野球チケットをいただいているので、感染に気をつけながら気分転換をする。